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前委員長挨拶

弁論とは何か。

弁論部に初めて出会ったとき、誰もが一度は考えたことがあるのではないでしょうか。この問いの端的な答えとして「相手を説得する行為」とされることがありますが、ここではこれに上乗せする形で私なりの弁論の見方を提示し、ひとつの参考にしていただければと思います。

1つ目は、社会を識る手段ということです。

ここでいう社会という枠は、地元地域や日本、全世界、自分自身など捉え方は自由です。社会では常に多種多様な問題が巻き起こっています。その問題がなぜ発生し、どのような構造を持ち、どのような影響を与えるのかを紐解いていくことで一つの社会の側面を識ることにつながります。

例えば、少子高齢化やジェンダー論、環境問題などの弁論があります。弁論を行う、聴くことで、その問題を通した日本や世界といった社会を識ることができます。さらに、その弁論に対して「自分自身はどう思うか」という視点から、自分という社会を識ることができます。

これは自分の興味範囲や趣味嗜好、得意、苦手という側面を識ることにつながり、そこにある可能性の種に目を向けることができます。

これが2つ目、自分の種とその育て方を学ぶ手段ということです。

弁論部で活動する中で得ることができるもの、伸ばすことができる能力は多々あります。人前で発表する度胸、論理的思考、探究心など。しかし、誰もが同じ種を持つわけではありません。「あの先輩は話すのが上手い」「同期の指摘力がすごい」「でも、自分は…?」そう感じる場面は必ず訪れます。

しかし、植物の種が独自の構造を持ち、芽吹く時期や花を咲かせる条件、実を実らせる方法がそれぞれ異なるように、人によって元から備えている種も将来実る成果も異なります。

あなたの強みの種は思い描いた理想とは異なるかもしれませんし、もしかしたら花を咲かせるのは卒業後かもしれません。

しかし、弁論を通して自分という社会を識り、自分の中にある種は何か気付くことができます。そして、弁論部という豊かな土壌では、様々な出会いや経験を経ることでその種を育てるための水や肥料を得て、育て方を学ぶことができます。

時には上手くいかず、もどかしさを感じることもあるかもしれません。しかし、いつか何かの形で、貴方の人生の糧になるのが弁論であり、それを提供する場が弁論部です。

長々とお話ししてしまいましたが、決して難しい話ではありません。何か得たい、と思ったら気軽に弁論部の戸を叩いてみてください。あなたが踏み出す一歩を、弁論部員は待っています。

 

その一歩に、期待する。

       

法政大学弁論部

 第139代委員長

​    守谷梓沙

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